第十三回酒都で聴く居囃子の会 月を詠じ月に戯れる 三井寺



平成30年9月24日(月・祝) 十五夜
会場 白鷹禄水苑 宮水ホール 

古くから芸能と縁の深い酒都・西宮の造り酒屋において、地元在住の能楽師による謡と囃子で、能特有の音楽性と言葉の美しさをお楽しみいただこうという「居囃子の会」。ちょうど十五夜の日の開催となった十三回目となる今回は、「月を詠じ月に戯れる」と題し、秋の月を象徴とした「三井寺」を中心に、名月にちなんだ演目で十五夜の宵をお楽しみいただきました。

オープニングには、特別ゲストの金関環さんのヴァイオリンで、阪神間モダニズム文化を体現する夭折の音楽家、貴志康一作曲の「月」をお聴きいただきました。そこには秋を象徴する美として愛でられてきた日本の「月」とはまた違う「月」の表現があるように思います。演奏後は、日本と西洋の「月」のとらえ方の違いについても金関さんに触れていただきました。

 

日本古来の「語り芸」としての能、狂言、講談のそれぞれの魅力を比較してお楽しみいただくのも、当初より本企画の目的の一つとなっています。前半は続いて善竹兄弟の狂言「柑子(こうじ)」、旭堂南陵さんの講談「正成の霊と満月」をお楽しみいただきました。

さて能には月夜の美しい情景が謡われる場面が数多く登場しますが、能「小督」の『駒之段』もその一つです。嵯峨野に身を隠した寵姫、小督の局の行方を探すよう高倉天皇に命じられた源仲国が、名月のもと馬を歩ませ、琴の音を頼りに嵯峨野を訪ね歩く「駒の段」は、秋の風情が漂う名文で、月下の嵯峨野の情景が美しく謡われます。前半最後は、ヴァイオリンの前奏により月夜の嵯峨野へと誘われ、小鼓と謡の一調一声でこの『駒之段』が演奏されました。

 

休憩を挟んでの後半は、いよいよ番囃子による能「三井寺」です。「三井寺」は、生き別れた母子の再会を軸に、中秋の名月と三井寺の鐘が織りなす、秋の情趣を深く感じさせる作品です。冒頭、十五夜の三井寺では僧たちが月見に興じています。ここに、我が子を思うあまり、物狂いと化したシテの女が、狂女のみに囃される〈狂女越一声〉と呼ばれる囃子とともに登場します。続いて物狂いを象徴する〈カケリ〉という緩急に富んだ囃子が演奏されます。その後女が目指す三井寺までの道行きが美しく謡われ、旅路の末ようやく女は名月の夜の三井寺にたどり着きます。ここで月の風情を愛でながらシテが発する「三五夜中の新月の色、二千里の外故人の心」という白楽天の詩句は十五夜の場には必ずといっていいほど謡われる名句です。「三五夜」とはいうまでもなく十五夜のこと、「故人」は古き、良き友のこと。はるばると照り澄む月光とともに回想に上る人の面影が果てしなく広がり、ここで月下の琵琶湖・粟津の森や鏡山の影、山田矢橋の渡し船などが眺められます。
この後アイ狂言演じる寺の能力が鐘を衝きますが、その音色を自らの声で独特の擬音を使って表現します。本当にあたりに鐘の音が深く響き渡るような思いがしました。女はこの鐘の音に導かれて、母子再会のきっかけとなっているのでとても重要な場面となっています。
鐘の音に感じ入った女は、自らも鐘をつこうとします。住職がそれを止めると、女は、中国には名月に心を澄まし詩ができたうれしさに心みだされて鐘をついた詩人もいたと反論し、制止を振り切って鐘をつき始めます。わが子の身を案じる母が、だんだん心昂ぶり鐘を撞く様子は、「鐘の段」といわれ聴かせどころなっています。そこには無常を説いた『涅槃経』の偈の部分、「諸行無常、是生滅法、生滅々已、寂滅為楽」が織りこまれており、鐘の音と現世の無常が重ねあわされて、聴く者の心に力強く響いてきます。さらに女は鐘に関する和漢の詩歌を詠じ、十五夜の月光の下、鐘の風情に興じて舞い戯れます。月下の琵琶湖に三井寺の鐘が響き渡る情景が目の浮かぶようでした。この後、この三井寺の稚児こそが女の息子であったと判明し、二人はめでたく再会を果たします。

本編終演後の番外編、禄水苑庭園での演奏も交えた「月待ちの小宴」では、鼓とシテ方全員の謡による「羽衣」、「竹生島」、狂言方による『靭猿』の「猿歌」など、月にまつわる演目が披露されました。盃を片手に、時にはご一緒に月を詠じ、月に戯れ、月を肴に十五夜の宵をお楽しみいただきました。

 



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