第十回「酒屋万来文楽」公演にあたり 〜吉田文雀さんへの感謝の気持ちを込めて〜

西宮は文楽の源流「傀儡師」発祥の地といわれ、文楽と大変縁の深い町です。同時に西宮は全国有数の「酒どころ」でもあります。この「酒」と「文楽」という西宮を語るに欠かせない二つの要素を、造り酒屋において同時にお愉しみいただこうというのが、「酒屋万来文楽」です。記念すべき第十回目にあたる今回は、十年前、「酒屋万来文楽」の立ち上げに多大なご尽力をいただき、以来毎年ご出演いただくとともに応援し続けてくださった吉田文雀さんが、第一回公演でお園を遣ってくださった世話物の名曲、『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ) 酒屋の段』を再び取り上げました。

文楽の公演は大阪の文楽劇場をはじめ、全国各地で行われていますが、文楽の源流を語るにおいて欠かすことのできないゆかりの地、西宮において、また西宮が、傀儡師達が活躍していた室町時代よりすでに「西宮の旨酒」として名を馳せた酒どころであったことから、西宮でも特に造り酒屋において文楽の公演を行うことには、特別な意味があるのではないかと考えました。こうしてかつての造り酒屋の住居を再現した白鷹禄水苑のささやかなホールを舞台に、文楽を上演することを思い立ったのがちょうど10年前のことでした。その折にまず頭をよぎったのが、すぐ近くにお住まいと聞いていた吉田文雀さんのことでした。文雀さんのお姿はお舞台では拝見しておりましたが、もちろん面識はございませんでした。そこで電話帳でお電話番号を調べてご自宅に直接お電話させていただき、先に述べたような趣旨をお話し、ぜひともご協力いただけないものかとご相談させていただきました。すると意外にも即座に「承知しました。明日にでもそちらにおうかがいします。」とのご返事を頂戴しました。あまりに速い話の展開にとても驚きましたが大変ありがたくもあり、その後ご自身のご出演はもちろんのこと、他の配役など、すべての段取りを文雀さんが整えてくださり、平成18年11月、第一回「酒屋万来文楽」を開催する運びとなりました。その時の演目が今回上演した「酒屋の段」だったのです。太夫三味線も今回と同様に豊竹呂勢太夫さん、鶴澤藤蔵(当時清二郎)さんにお願いいたしました。以後、酒屋万来文楽の太夫三味線は、ほぼこのお二人というとても贅沢なパターンが出来上がっていますが、文雀さんのおかげで本当に良いご縁をいただいたと思っております。人形のほうも和生さんはもちろんのこと、文昇さん、玉佳さん他、今回ご出演いただいているほとんどの皆様は、当初より酒屋万来文楽をずっと支え続けてくださっている方々です。

文雀さんには2014年、第7回目の「摂州合邦辻」まで毎回ご出演いただいておりました。第二回目の公演「花競四季寿」が終了した後、「来年からは段取りなど詳細はすべて和生に任せます」とおっしゃり、以後毎回、和生さんには、多々ご無理を申しあげながら全面的にご協力いただき、おかげさまでこのたび第10回目の開催を迎えることができました。これもすべて「酒屋万来文楽」立ち上げ当時、主催者とはいえ右も左もわからない私に、あきれかえることなくご親切に助言してくだり、以後も惜しみなくご支援をくださいました文雀さんのおかげと、この場をお借りて深く感謝申し上げたいと思います。

白鷹禄水苑総合プロデューサー
「西宮発・今、伝統芸能」実行委員会
実行委員長 辰馬朱滿子

2008年 第一回酒屋万来文楽 「艶容女舞衣 酒屋の段」


第十回 酒屋万来文楽 艶容女舞衣 酒屋の段


平成29年12月3日(日)
会場 白鷹禄水苑 宮水ホール
15:00開演 14:30開場

『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』は、元禄8年(1695)の女芸人三勝と赤根屋(文楽では茜屋)半七の大坂千日前での心中事件が脚色され、同じ月のうちに大坂で歌舞伎として上演大入りを取った演目です。ついで浄瑠璃にもまとめられ、安永元(1772)年に大坂豊竹座で初演となった、心中した二人の情話よりも、周囲の人々、中でも半七の妻お園に重点が置かれた世話物の名曲です。

酒屋の息子、半七の嫁となっても未だ一度も情をかわしたことのないお園。夫には愛人、三勝との間に娘まであることを知りながら、じっと耐えて夫の帰りを待っています。しかし半七は勘当され、弱り目に祟り目、悪人にだまされ咎人として追われる身となります。 ここからが「酒屋の段」です。

まず冒頭、お園が父・宗岸に連れられて半七の親、半兵衛夫婦のもと、酒屋の『茜屋』にやって来ます。宗岸は、腹立ちからお園を実家に帰したのですが、毎日泣いてくらすお園を不憫に重い、お園を半七の妻として、再びここで親孝行をさせてほしいと願います。お園もまた、「みな、私の不調法、鈍に生まれた身の科・・」といたらなさを詫びます。一方心の中では、気だての良いお園が気に入っていて、いじらしく思っている半衛兵衛は、不幸になるお園を案じて、心にも無く激しい言葉で「半七とは、親でもない、子でもない」と申し出を拒みます。宗岸は、「親でもない、子でもない」のになぜ息子の罪を背負って〈縛り縄〉の刑に服しているのか、と詰め寄ります。それでついに半衛兵衛は、心を打ち明けます。嫁として手元に置きたいが、それでは一生独身で暮らすことになると、お園を不憫に思う心情を泣いて打ち明けます。子を思う親の気持ち、嫁を気遣う義父の思い、わが身を犠牲にしてでも夫の身を案じる妻など、互いを思いやる義理堅く人情に厚い人々の、複雑で微妙な心のうちが見事に表現され、観客の涙を誘います。この後半衛兵衛と妻、宗岸は、「内密の話がある」からと、奥に入ります。

あとたった一人店の間に残されたお園が、憂いに沈んでいる様子が語られます。出て行った夫の身を案じ、恋い慕うお園が「今頃は半七つあん、どこにどうしてござろうぞ・・・」と思い述べる、通称〈お園のくどき〉といわれる有名な場面です。切々とした浄瑠璃にのって、人形の美しさがあますところなく表現され、「うしろぶり」という人形独特のポーズが映えます。「うしろぶり」とは、後ろ向きで首を少しひねって観客に横顔を見せ、体をのけぞらしたポーズで、女形の人形独特の悲しみや切なさを後ろ姿で表現する型です。人間の身体の構造からはとても不可能だろうと思う姿勢ですが、まさにお園の心情を表す素晴らしいシーンで、会場から拍手が湧き起こります。「今更返らぬことながら、私といふ者ないならば・・・」という件、つまり自分という妻という存在がなかったら、三勝はめでたく茜屋の嫁になれて、半七の身持ちも治ったのにと、全ての原因を自らに求めるお園。現代では考えられない道理ですが、お園のいじらしい心情に再び観客は涙します。

そこへ三勝の子・お通が、お園にすがり寄って来ます。驚くお園。半衛兵衛、妻と宗岸も飛び出してきて、子の体を改めると、懐の守袋から、書置きの書状が出てきます。むさぼるように書状を読む4人。半七はお園が嫌いというわけではないが、三勝とは離れがたいという思いを吐露しながらも「夫婦は二世と申すことも候へば、未来は必ず夫婦にて候」と、妻としてのお園に侘びといたわりの言葉を記しています。しばらく後に半七と三勝が死出の別れに茜屋近くまでやってきます。三勝は三勝で、乳を欲しがる通に「もう一度乳がやりたい。」と痛む乳房を握り締め嘆きます。ここでまた観客は、三勝に深く感情移入して涙を誘われます。やがて半七と三勝が手を合わせて名残を惜しみ去って行き、死の旅路を急ぐのでした。

第二部の「文楽の手ほどき」では再び吉田和生さんにご登場いただき、演目に関してや、文雀さんの思い出、また様々な役柄の人形を遣う難しさについても語っていただきました。「酒屋の段」に関しては、前に互いに相手を思いやる苦しい胸のうちを吐露する愁嘆場があってこそ「お園のクドキ」が生きてくるとのこと。また文雀さんの思い出としては、手とり足とり細かく指導するだけではない、役柄をイメージするヒントを与え、自らの解釈を促すような独特の指導法など、和生さんしかご存じないエピソードも交え師匠への和生さんの思いが偲ばれる、しみじみとした語り口でした。

今回は、第一回目の文雀さんに替わり、今回は先ごろ人間国宝に認定された吉田和生さんにお園を遣っていただきました。昨年惜しくも文雀さんがご逝去されたことから、第十回目となる今回は、文雀さんへの哀悼と感謝の気持ちを込めて再びこの「酒屋の段」を取り上げることは当初より計画していたことなのですが、折も折、和生さんが人間国宝に認定されたことを受け、今回の公演にはさらに深い意味が加わったように感じています。 西宮が誇る偉大な芸能者であると同時に、素晴らしい師であった文雀丈を偲びつつ、生涯をかけて培われた至芸が次世代へと確実に受け継がれていることを、観客の皆様方とともにと共に深く心に刻み、大きな喜びとした舞台でした。

 



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